網走うるしの歴史

網走うるしの歴史

古文献による推定では、蝦夷地開拓を目的として、函館奉行所が安政5年(1858年)から万延元年(1860年)頃にかけて、北前船で会津から漆を取り寄せ、網走御用所・紋別御用所など幕府の役所により植栽されたものと考えられています。幾度かの伐採を経ながらも、現在も網走市南公園内にはウルシ樹林が現存しています。

【参考:漆を科学する会発行『漆植栽地―漆樹と採取方法』2004年9月】


このウルシ樹林は、1990年、網走うるしの会の前身である「網走自然観察会」によって、車止内(クルマトマナイ:網走市南公園内)に形成されていることが確認されました。翌1991年には、網走うるしの会が創設されました。


創設後の1992年(平成4年)および1994年(平成6年)には、岩手県浄法寺から漆苗を取り寄せ、網走市山里地区に400本、東網走地区(2022年に返還)に456本の植栽を行いました。さらに、2002年(平成14年)には浦士別地区に約2,000本を植栽しています。


すべての地区で順調に生育したわけではありませんが、現在は山里地区において樹液採取を行っています。


網走うるしの会の活動目的

・北限の漆林を保護して、オホーツクに漆文化を普及させる。

・江戸時代に植林されたウルシの調査と保全、生漆採取法の研究を行う。

・摺り漆技術を習得する。

・漆林の品質を評価する。